前回の記事で、「私たちは2人でずっと2人で生きていくのかもしれない」と書きました。
現状の詳細
夫から「隠すことでもないしオンライン含め他の人に言ったり公開したりして良い」と言われたので、まず現状の詳細を整理します。
夫は無精子症と診断されました。どうも生殖器官で精子が作られていないタイプの非閉塞性無精子症というやつでした。
3〜4割くらいは男性器を切開して顕微鏡で探せば精子が見つかり、顕微授精によって夫婦の遺伝子を受け継いだ子どもを授かる可能性はあると説明されました。
「非閉塞性無精子症=男女とも手術しないと子どもの可能性はない」という状況。
精索静脈瘤という精子の状態が低下する要因となる異常(ただし健康には影響なし)も併発していたので、これの手術も提案されました。
まとめるとこんな感じのフロー↓
- 精索静脈瘤の手術(下腹部を切開)
- 生殖器官を切開して精子を探す手術(4割くらいで見つかるかも?)
- (精子が見つかれば)女性側のホルモン療法で卵子を育てた後、卵子採集術
- 顕微授精
- 培養した受精卵を女性側の体内に入れる
- 子どもを授かるかもね(健康な状態での自然妊娠着床率が大体3割だったかな?顕微授精の場合は知らない)
身体、精神、金銭的にやばいぞこれ…以外の感想が浮かばないですね。
元々わたしは高度不妊治療をしてまでは子どもは欲しくないという考えでしたが、夫が精子回収手術をしてまで子どもが欲しいなら高度不妊治療にチャレンジしても良いかなぁと思っていましたが、精子回収手術にチャレンジしないで最初から2人で生きることにしました。
2人で生きること自体には何も不満はない。けど…
この最終決定に至るまでに、しんどかったことがあります。
1つ目は、自分達と同じような状況で、治療にチャレンジせず2人で生きていくことを選んだロールモデルがいないこと。
他人がどうしているのかは自分達に関係ないことはわかっていますが、その決断をして後々後悔しないのか、少し気になっていました。
2つ目は、治療にチャレンジしないということを選択肢として選ばせてくれないプレッシャー。こっちの方が辛かったかな。
不妊治療専門クリニックで検査したので当たり前なのかもしれませんが、主治医の先生からは手術前提で話が進められましたし、直接伝えたごく一部の人からも、治療にチャレンジする前提で話をされたこともありました。
2つ目の辛さに起因して、ロールモデルを探していたような節もあります。
身体的、精神的、金銭的苦痛を背負うのは私たちなわけで、そこまで背負って治療にチャレンジするかどうかは私たちに決めさせてくれないかな?
苦痛を背負ってまで子どもは望まないっていう選択肢もありだよね?
多様性を!認めてくれ!
決断できたらスッキリした。
夫がどういう結論を出すのか確定していなかったときは、自分ではどうしようもないし周りからは選択肢を狭められるような感覚があるしで、結構しんどかったです。
治療はしない、ついでに養子も迎えないと結論を出してからは、人生の不確定要素が減って楽になりました。
そもそも子どもを授かるかどうか、いつ授かるのか、という問題自体が特に産む性としての自分にとってデカすぎる不確定要素で、そこに金銭面の不安やらなんやらが積み重なっている状態でした。
「産まない」という決断によって、本当に楽になりました。
人間は社会性を持った生き物だからね、子どもを産み育てなくても社会と上手く付き合って貢献することはできるよ。
貢献と言ったって何か大それたこともしなくていい。生きているだけで社会を動かすことにつながるのだから。
「産めよ育てよ」という人とは距離をとりつつ、「女性は産む機械」だと思っている人に対しては心の中で中指を突き立てつつのんびり生きていきます!
[…] 諸事情についてはこちら:2人で生きるという決意を改めてしたら、人生の難易度が下がった気がした。 […]