6月6日に大阪で行われた、あーすじぷしーさんのトークライブに行ってきました。
いろいろ考えたことがあるので、頭の中をまとめるためにもブログに書いてシェアしておきます。
参考:あーすじぷしー公式サイト
わくわくしながら生きるとは?
それは「自分が満たされる生き方」。
飲み会ではっちゃけるとは違うもの。
なぜかわからないけど心惹かれるもの、日々湧いてくる感覚に従って生きることだそう。
では、自分が満たされる生き方ってどんなもの?どうやったらわくわくしながら生きられるのか?
わくわくしながら生きるには?
わくわくしながら生きるには、自分の感覚、直感を研ぎ澄ませないといけません。
いろんなことによって定められたレールに乗っかった状態の私たちは、その感覚や直感が鈍ってしまっている状態。
「こういう場合はこういうふうにするのが正解だ」というふうに思考に引っ張られて行動していたり、「とにかくいや!」と感情に引っ張られて思考がストップしてしまったり…
わくわくしながら生きるには、元々持っている感覚、「野生感覚」を取り戻し、感情も思考も身体も客観視できるニュートラルな位置を保つ必要があります。
野生感覚を取り戻すために
自分と向き合う時間を持つ
普段の生活では、自分と向き合う時間を取れていないことが往々にしてあります。
「忙しい病」の方は、自分と向き合いたくないがために自分から忙しくしている場合もあるとか。
瞑想だったり、楽器だったり、自分に合う方法で自分と向き合う時間をきちんととることで、だんだん野生感覚が取り戻せるとのこと。
忙しくてそんな時間は取れない!ではなく、むしろこの自分と向き合う時間を優先するくらいの勢いが必要。
私の「自分と向き合う時間」
私の場合、これはランニングかもしれないな…
走っているときの頭が空っぽになる感覚がたまらなく好きです。
自分の感情を認める
自分の感情は、客観視しにくいもの。そして、とても勇気がいること。
感情が動いたと感じたときは、「今どう感じている?」と自問して、擬音語でもいいから言葉にして、「どうしてそう感じたの?」と分析する癖をつけると、次第に自分の感情を認められるようになるそうです。
気づいた感情をなんらかの形で表出させることよりも、まず大切なのは自分の気持ちに気づくこと。
客観視、大切ですよね。
仕分けしない
これはやっていい、やっちゃダメ、というのは、今までの経験から形成された概念や社会の決まりによるもの。
善悪を判断するのではなく、自分がやりたいかやりたくないか。
「ない」があることを認める
目に見えない世界や、短所、「ない」があることを認めると、そこを補いさらに人生の幅を広げてくれるようなものや人が巡ってくるそうです。
お金を使ったときに目に見える世界だけに意識が向いていると「お金が減った」と感じますが、わくわくすることに使ったお金は目に見えない世界で未来貯金になっているんだとか。
自分の人生、どうせならわくわくして生きたいじゃないですか
こういう話は、人によっては「宗教っぽい」「青臭い」とかいう反応をするかもしれませんね。(蛇足かもしれませんが、今回のトークライブで神様がどうとかっていう話はまったくでてきませんでしたよ)
「私はこういうことがしたいんです!」って夢を語るのが気恥ずかしく思うときもあるかもしれません。
でも、私は自分の人生を生きているのであって、周りでこのようなことをいう人達の人生を生きているわけではありません。
自分だけの人生、どうせならわくわくして生きたいじゃないですか。
決められたレールを進むのは一見楽かもしれないけど、人から定められた道を定められた速度を保つのってけっこうつらい。
未舗装の道でも、自分のペースで走れるほうが絶対にいい。
今まで他人からの評価を必要以上に気にしすぎている自覚がありました。
自分自身の人生、自分で手綱を握れるように、もっと自分に正面から向き合っていく。決意表明も兼ねて、ここに書いておきます。
余談ですが、ご著書にサインを頂いたとき、なほさんから
「かなり好き嫌いがはっきりしている方なので、目指したい夢へのプロセスが辛かったら、別のプロセスも考えてみて、プロセスごと楽しめるようにするといいですよ」
と言われて、びっくりしました。
今日からすること
・日記に自分観察の欄を設ける(感じたこと、身の回りで起きた変化)
・自分の感情、思考、身体の客観視