ベトナムの田舎に滞在中です。
マジで田舎なので、「ベトナムに旅行で来たので会いましょう!」って言われても会えません。ハノイから車で5時間くらいかかります。諦めてください。
ベトナム語の「私」と「あなた」
ベトナム語では、お父さん、お母さん、お兄さん、お姉さん、おじさん、おばさんなど、親族名称を「私」や「あなた」として使います。
日本語だと自分より年齢が上の親族名称だけ「私」や「あなた」として使えますが、ベトナム語では子ども、孫、弟・妹も「私」や「あなた」の意味で使えます。
田舎に来る前、ハノイで一泊しました。その時、友人の家へ遊びに行って、友人の甥っ子や姪っ子と遊んできました。
その甥っ子、姪っ子と話す時、私は彼らの両親より年下なので、私は自分のことを「叔母さん」と呼んでいました。
ところ変わると「叔母さん」ではなく「伯母さん」
ところが、田舎に来たら、その甥っ子姪っ子と同じくらいの歳の子たちから、「伯母さん」と呼ばれるのです。
子どもたちのお母さんより、私は年上だからです。
ベトナムでの女性の結婚年齢は法律上は18歳以上。
聞けば今日一緒に遊んだ子どもたちのお母さんは、16歳の時に結婚したとのこと。
田舎での早婚の話は知識として知ってはいたけど、実際に法定年齢以前に「結婚」した人に会って、軽い衝撃を受けました。
幸せの形は人それぞれ。けれど…
法定年齢以前に「結婚」することは不幸なのかというと、それはその人や環境によると思います。
ただ、法定年齢以前の結婚、そして出産は、女性の選択の自由を奪うことになると考えています。
そもそも、法律で認められていない年齢で「結婚」しないといけなかった状況で、法定年齢になるまで待つという選択ができなかった時点で選択の自由はありませんよね。
相手の人、環境によっては幸せかもしれないけど、あまりにもそれらの外的要因に依存した幸せの形です。
選択肢を奪わないでほしい
おそらく日本の生活に慣れた人が、この田舎に来たらしんどい人も多いかと思います。
だからと言って、ここの人たちが常にしんどい生活をしているかというと、必ずしもそうではないです。
採れたての新鮮な食べ物に囲まれ、夜寝る前まで家の出入り口(マンションやアパートのドアではなく、もっと大きい)を開け放ち、夜風に吹かれながら家族や近所の人と談笑するここの生活を「楽しい」と言う人は、日本の生活を「しんどい」と言うでしょう。
私が言いたいのは、どんな形がいいのかは自分で選べるようになってほしいという点です。
法律を守るという点で法定年齢以前の結婚はダメですが、年齢を満たしたら結婚するもしないも本人の選択でできる世界になってほしい。
「Aという形しか選択肢がなかったけど、本人が幸せならそれでいいじゃないか」と外野が言うのは簡単ですが、それはあまりにも強者の理論を振りかざしすぎていると思うのです。
環境による選択肢の多寡はどうやってもあります。人は置かれた環境で勝負するしかありません。
けれど、選択肢が1つしかない状況というのは、勝負のしようがない。
一緒に遊んでいる子達が大きくなった時、私や周りの大人は彼らに一つでも多くの選択肢を示せるだろうかと考えてしまいました。