足指骨折記1-自分の存在価値って?

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先日、うっかり椅子の足を蹴ってしまった時にやらかしました\(^o^)/

右足薬指が、斜めに折れてました。

お医者さん曰く、「結構しっかり折れてますねー」とのこと。

4週間ほどは固定しないと行けないので、しばらく松葉杖ライフ!

遊びに行くのはもちろん、家事や身の回りのことも大きく制限されることになってしまいました。

せっかくなので、骨折治療中に起こった出来事を、折に触れて綴っていきますー

最初に行っておくと、初回から重め。

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あなたがいるのに、いないみたいな生活をしなきゃいけない

同居人はわざわざ休みを取って久々に出かけることにしていたのに、私が椅子の足を蹴るというなんとも情けない理由で骨折したため、その休みを病院の付き添いに使うことに。

私が帰りは電車で帰ってみると言ったもんだから、徒歩10分の道のりを1時間ほどかけて帰宅。

帰ってからも、同居人が洗濯や料理などの一切の家事をやることになります。

それだけではなく、半ば介護に近いこともやってもらいました。

その夜、寝る時に何の気なしに言われたのがこの一言。

「さぬっふぃーがいるのに、いないみたいな生活をしなきゃいけない」

自分の存在価値って?

話の文脈上どうしても、同居人にとっての私の存在価値が家事に置かれていると感じざるを得ませんでした。

すかさずどういう意味なのかときつく問いただす私。

「あなたにとっての私の存在価値って、家事をやってくれるかどうかなの?」と聞くと、「それだけじゃない」と言われる。

「それだけじゃない」ということは、そこにも比重が置かれているということか。

そんなことを言われたショックと、言わせた申し訳なさと、自分で思うように行動できないもどかしさとで、わけがわからなくなって気づいたら泣きながらごめんなさいと繰り返していました。

きちんと伝えないと忘れてしまう

わかってはいるんです。家事なんか些細なことで、同居人にとって私が笑顔でいることが一番大切なことくらい。

ただ、家事ができないと私がいないのと同じように感じると言われてしまうと、どうしてもそう塗り変わってしまう。

これは私にも言えることです。

こんなことになってしまったけど、同居人がいてよかったとは言っているものの、発話場面的に「代わりに家事をしてくれる人がいて」よかったと取られかねない時しか言ってないと反省。

隣にいてくれて、安心できるということが一番大切なのに。

きちんと言葉で伝えて、家事をやってくれることにはしっかり感謝も伝えていこうと思いました。

これ買おうと思ったけど、私が使ってる松葉杖には合わないっぽいのでやめた。
手も脇腹も痛い…
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